NEW! 『TAKAKOの徒然』【フィジー編】
🏝️ Pacific Way
2021年から2024年まで住んだフィジー
島だけど島には思えないほど広大な大地に美しい自然に恵まれたフィジー
フィジーから南太平洋の多くの国と繋がれるハブのような場所
あの大地に包まれるように住まわせてもらえたことが奇跡的にありがたいこと
特に息子は2歳から5歳までフィジーで育ち、今もフィジー出身だと思っている奇跡
酋長として伝統的な社会の中で育てられながらも英国に留学させられるなど先を見越して一国のリーダーになるべく育てられた
フィジーの元首相
ラトゥ・マラ
フィジーの大統領そして首相を長く務めたフィジーでは誰も知るリーダーの書物(酋長という言葉の正しさについては置いておいて)
1970年のフィジーの独立、1987年のクーデター、伝統的な制度、何度も改訂を繰り返した独自の憲法、大酋長会議
あらゆるものがつめこまれた書物
この首相というか人としての偉大さが手に取るようにわかります
単純な植民地、非植民地という構図だけではとらえられないものがあります
英領連邦への強い思い
国旗にユニオンジャックをとどめている理由である英の正義、フェアプレー、法の支配への尊重、礼儀正しさという資質への敬意、自らの寛容、調和、正義を守りつつ独立
砂糖産業、観光産業が独立とも育成された必要不可欠な歴史
同時にインド系が活躍した砂糖産業が国内の民族同士の争いの一要因ともなる
イ・イタウケイ(先住系フィジー)とインド系が主な構成民族であるがゆえに民族融和をかかげつつ進められた政治
独立後17年にもわたり首相を務めた終盤で、ランブカ中佐によるクーデターが発生
ラトゥ・マラは暫定政権を率いるよう大統領に要請され、自分以外にフィジーのために国を率いることができる人はいないと確信して首相になることを決意
この本には収まらなかったその後今に至るまで歴史があり、さらに2回のクーデターが発生
去年末まで首相だったバイニマラマ元首相が2006年にクーデターを起こし、「民主主義」をうたいつつ、国を治めた14年間
その政権が去年終わり、ラトゥ・マラの時代に1987年クーデターを起こしたランブカが首相に就任したのです
歴史が戻ってきたのか、歴史が書き直されているのか、歴史が今に進展したのか
ランブカ首相はクーデターを起こした過去等を公式に謝罪しました
今この国で起こっていることがただ起こっているというか、そこに歴史からの道があり、今になっている背景がなんとなくみえる
10年前にも読みましたが今回はまた何か違う物を感じます
この書物のなかにも米の信託統治領であったミクロネシアを訪問したマラ氏が、米の支援によりもっと豊かかと思っていたら違ったという1パラにもどこか響くものがありました
日々の仕事や生活ではこのパシフィックウェイに翻弄されつつも興味深く、敬意を払いたい、そんな思いです
読み終わって感じたままを書いているので史実はどこか正確ではないかもです
🏝️ 2022年フィジー総選挙
12月14日に投票が行われ、その後約2週間かけて色々な事が起こりながら、連立政権が樹立され16年続いた政権が変わりました
フィジーはこれまで4回クーデターを経験した国
12月は人々の生の声を聞いて今回も何が起こるかわからないと言っている人が多くいました
中には違う人種ととなりで生きることで起こる課題や問題に直面して、一般的には人種差別的だと揶揄されるようなことを言う人々もいました
でも彼らにとっては事実
民主的な制度として受け入れられた変化が実はある1人にとっては、苦しい体験となった
そういうことだってあります
もちろんそのおかげで救われた人々もいた
民主主義という綺麗な言葉
それがこれからどうなっていくのか、目撃していきます
🏝️ タラノア
KANU(以前はGovernor's café)
フィジー独立前に生きた政治家、学者、酋長さんの家を改装して、フィジーの歴史をたどるような写真たちやフィジーで撮影された映画のポスターを壁に飾っているレストラン
博物館みたいなものです(見方によってはディズニーランドのビッグサンダーマウンテンの飾りにも見えるかも 笑)
そして、このレストランでは色々「タラノア」が行われてきたのです
ここでの「タラノア」(フィジー語で意思決定の透明性、対話、膝をつき合わせて・・・)を感じる日々
誰でも同じだけど、「これはこういうものだからこうしてくれ」なんて頭ごなしに言われたくない
協議が大事
対話が大事
結論を急ぐがあまりに、これはこういうものだからという説明が多い気がしますが大事なのは対話
結論に至るまでのプロセスが大事
途中色んな意見があっていい、そういう意見を出せる場、対話の場を用意することが大事なんだと
そのプロセスで相対する相手への最大の敬意が表れるんだなと
そこから前進できる


こちらでも数々のタラノアが今も行われています
🏝️ 金曜と土曜のスバのローカルマーケット
何度行ってもどこ見ても慣れないし、おもしろいし、不思議
金土だけは場外にテントがはられ、そこに週末組の売り手がひしめいているんだけど、多分田舎からそのまま家ごと来た感じ
オカン、オトン、子供、なんなら、じいちゃん、ばあちゃん的な人も一緒にいる
色んなところで子供が泣いてるし、オカンは授乳してたりする
ご飯もそこで食べる
寝てる
どうやら女性の着替え、シャワーは去年かに備え付けられたそう
今世紀ずっとここに座ってますっていうくらいにどっしり座ってて、住んでるとしか思えない
でも土曜夕方にはカンパケしてて、スバの中央のバスステーションがやたら混む
そしてきっと日曜に朝から教会に行くのでしょう
利用者としてありがたいのは、ここのマーケットは色々管理されていて、一番助かるのは値段の表示義務があること
なので基本交渉はしなくて済む
一山(これがデカいのでまあまあ消費が大変)で値段が決まっている
これ半分にしてくれない?とかいうとしてくれるときもある
でも応用は効きづらい
それぞれベンダーがおのおの売りたいものを持ってくるので、だいたい被ってる
そして値段も大体同じ
でもサイズ感とかはバラバラで最終的には値段に差がある気はする
よってもってめちゃくちゃ広いマーケットでいいもの探しつつも結局よく分からなくなり、近くでなんとなくよさげであればそれにする
人に聞けばだいたい行くところを決めているとか
例えばシソとか日本人的にヒットなものが出ている時はジワジワと情報交換し合うのだけど、出入り口も相当数あり、ベンダー番号とか明確な店名とか目印がないので、「奥の方の中国系の、若い人がいるとこ」などの断片的な情報で探しに行く
ひどい時は「海側」
海側って
どんだけ人おるとおもってんのとは思う
でもなんか分かって買い当てられる
もちろん日本のように色んなものが年中あるわけではないし、旬が私たちの感覚では極端に短いこともある
たとえば1週間とか
ほぼ幻の食材となる
中国系の方々のおかげで、葉物野菜も豊富
皆さんが加熱すればOKと聞いた牡蠣も場所わかった
運良ければキノコもあるけど私は出会えず
私にとってはほぼ幻になりつつある
フィジーは常夏とは言われているけど、夏と冬がある
今スバは冬
今日なんて21度
いやいや暖かいだろうと思われるだろうが、フィジーに一年もいれば21度が寒く感じる
雨が降ってるから実際にはもっと寒く感じる
冬の今はキャベツ、カリフラワー、春菊、夏には暑過ぎて育たないトマトが今一番美味しい、大根、かぼちゃなど冬の野菜がある…!
そもそも島国でこんなに育てられているのがすごい
環礁国では絶対に育たない
この恵まれた大地よ
ただ土地が肥沃であればよいというのものでもなく、育てる人がそこにいる
マーケットでは中国系、インド系、イタウケイ(先住しているフィジー人)が混在して売ってるのだが、まあ売り方に特徴がある気がする
誰が誰というのはさておいて、
これ何?とかいくら?とか言うか言わないかの状態で秤に乗せるパターン
まだ買うとはいっていない
あらゆる品物の値段を説明してお買い得であるプレゼンに徹されたパターン
比較的新しめのパターン
興味を示すといくらだよと言ってくれるけど、押してはこない、むしろ眺められる(なぜ笑)
マーケットに行くたびにまだまだ感じることが更新されるおもろい場所



日本の山菜にそっくりで本当に美味
🏝️ Namosi villageへ
なんだこの巨大な岩は!?
メイン道路をスバから30分くらい走ったとこに何かしらの大きな看板がある
ずっとなんだろうと思っていたそこを右に入る
Goolge Mapを見ると、一応あと30分とのこと
進めど進めどなかなか分数が減らない
がたがたくねくね道をGoogle Map先生は把握されてなかったんですね
事前情報ほぼゼロで行ったのですが、それでよかったかも
知っていたら、息子を乗せて自分が運転するというのはかなりためらったかもしれない
途中牛を避けながら
それにしても本当に美しい道中
川、木々、鳥の声
岩山が本当に壮大だった
そして2時間ほど経過して到着
それっぽい看板登場
とりあえず川に入るから川でOKな靴ももって来てってざっくりしたご案内はあった
が、荷物を持って入るのか、それとも遊びで川に入るのかは不明のまま
で、漸くわかった
川に入って渡っていかないと目的地に着かないのね
お荷物や小さな子供は村の人々が運んでくれて到着
そう、橋はないんです
橋がない村がまだまだ沢山ある
気付けばどこからか全くスマホは繋がらない
たぶん道中、「右に曲がった」時点からほとんど繋がっていなかったっぽい
デジタルデトックスとかキラキラあまっちょろい感じではなく、ただただ電波がない
道中大きな路線バス1台と幌がついた荷台付きのトラックにぎゅうぎゅうに人が乗って難民なのか!?と少し不安になる絵もあったが、BULA(こんにちは!)と元気な声ですれちがってくれて安心
それが村と首都スバと繋がれる方法
今は車でいけると、その昔は歩いて2日だったそう
300人ほどの村で、小学校は村の中にあるけど、家によっては川を渡って通学
中学校はとなりの村まで行く
ほんの少しだけハイキングして村全体を見渡し、その後子供達がお腹すきすぎてランチ、その後川遊び
セブセブという伝統的なカヴァを出してくれ、女性達はダンスを見せてくれて歓迎してくれました
というイベントがあるのも知らなかった
何も知らずにいってむしろ良かったかも笑
こうやってエコリゾート的な感じで外国人や村を知らない人達を、村人達が受け入れてくれているわけですが、そのダンスや歌の場面では何より村の人達がめちゃくちゃ楽しそうにしていたのが印象的でした
ダンスってトランス状態を生み出してくれるけど、ここでもたぶん踊り続け、歌い続けてみんなトランス状態になっていくんだと思う 確かキリバスで踊りを見たときにもそう感じた
私たちがいようといなかろうとこうやってカヴァを飲み踊りみんなで過ごしているんだろうなあ
子供達がなんか悪さをしようとすると、遠くからばあちゃんみたいな人がぴしゃりと怒る
訪問者の子供達が川で遊んでいると最初は不思議そうにというか機嫌悪そうに?見ているけど、気づいたら一緒に川に入っている
子供の適応力すごめ
ここがどこ?とか誰と?とか全然関係ない
ただ遊ぶ
夕方になり帰路につく
文明の力に頼る私はメイン道路まで到着し、左に曲がる時にはやっぱりどこか安堵したわけです
自然の中に入ってみると、普段は見えてないものが見え、足下の小さなことが本当に小さくみえるようになり、世界が変わる
たぶん村人にとっても同じで町にでるとそう感じるのかな
自然だけには見破られるというか、こういう人間のあれこれとは違う次元の高さにあることがよく分かる
うまく言えないけど、抽象度がかなり高いのが自然なのだろうなと
ありがたい経験でした




🏝️ Dance Fest Fiji
ダンスって世界各地の文化であるけどやっぱり人と人を繋ぎ、別次元に連れていくすごいツール
ジャンルは幅広くコンテンポラリー、ヒップホップ、インド、もちろんパシフィック
島っぽくもあり、インド系のダンサーさんはインドの文化を守り、これまた興味深かったのがOcean Island Dancerというグループ
オーシャンアイランドはバナバ島ともいって、その昔りん鉱石が取れた島です
1942年から1945年まで日本が侵略していた歴史がありますが、戦後の英領時代にさらなるりん鉱石採掘のために当時同様に英領だったフィジーのランビという島に移り住まわされ、今日に至るまでフィジーでキリバスの文化を守っています
りん鉱石が掘り尽くされ、住人は徐々にもどりオーシャンアイランドは今も数百人ほどの住人がいるとのこですが、りん鉱石が掘り尽くされ、人が住むにはあまりにも厳しい環境なのだそうです
ミクロネシア地域の本当にミクロな島だとおもいますが、日本がその島の歴史に登場するのです
思いを馳せずにはいられない
🏝️ お隣の島のサブサブへ
スバはキャピタルとはいえその空港がキャピタルっぽさゼロで面白い
やっぱこの国の経済はナンディで観光客が動かしてるんだなと痛感
キャピタルなのに空港で待機してたのはプロペラ機3機のみ😂
息子は初めてのプロペラ機
30分でお隣の島へ到着
到着はランバサという街
空港というか小屋なのはそりゃそうだとしても、アライバルターミナル?に入った瞬間スバとは違う人々の空気感、エネルギーを感じました
ぱっと見は確実にほぼみんなインド系フィジアン
ムスリムもいます
ある意味広いアジアを感じたのかもしれない
外国人は私たちくらいだったので、じーっと見られました
そこそこの人数はいるけど、とはいっても数十人か?バゲージクレームはリヤカーみたいなのに載せられて来た荷物を自分のを掘り当てる
確認なしでオワリ
ターミナル自体も誰が出発する人でだれが到着した人かわからない
アジアを良く知る友人に写真をお見せしたら、外見は東ティモール、中はネパールと言われても分からないって
ここ南太平洋なんだけどなぁ
To be continued…
River tubing!!!
チビちゃんもできるよーって聞いたので何かはわからずやってみることに!
浮き輪に座って川下り…!
斬新!
ボートでもカヤックでもない浮き輪
素晴らしかったー
聞こえるのは鳥の声、風の音、川の音、時々人の声
Peaceful…
ガイドさんがjust listen to the natureって
本当その通り
ガイドさんもだいぶリラックス
40分とかは同じ体勢だから大丈夫かなぁと思ったけど、息子は昼寝をする勢いでくつろいでた
時々向きとか修正がいるのですが、手で漕ぐ
どうにもならなくなったらガイドさんがおくつろぎのところを来てくれる
途中川遊びに来てる村人、馬、最後に子供たちと川で洗濯のおばちゃんたちと出会いました
子供たちBula(こんにちは)の一言で笑顔になる
川で洗濯以降は生活排水ということなのか、そこで終了
子供たちはどんぶらこと流れ着いた異国のわたしたちをお手伝いして、浮き輪からおろしてくれたよ
火山でできた島なのでところどころ温泉が湧き出てるのですが、川からも
垂れ流し…もったいない!
他に湧き出てるとこではみなさんお料理してるとか
湧き出しポイントにパイプさして、温泉シャワー
そしてまたガイドさんも本気でごしごしシャワーしてた
家が水シャワーでしょうから気持ちよかったんでしょう



ここだけお湯が沸きだしているんです
🏝️ お花売りのおばちゃん
いつもお花を買っているローカルマーケットのこのおばちゃんが新聞記事に載っていました
お花が大好きだからやっている仕事
ブーケを作るときは色で魔法をかけてるんですって
おちゃめ
記事にはこうかかれてました
「たとえお花が売れなくても希望をもってブーケを作り続けなさい
花は花でしかなんて思わず、植えつづけなさい
そしたらきっとお金になるし、そのお金で子供に食べ物をかってあげられる
それって良い気分よ」
と
シンプルだけど本当に生きていく上で大事なエッセンスが詰まったメッセージな気がします
世界にはホント色んな人があちこちで生きています

🏝️ あるママとの出会い
昨日、首都から車で時間くらいのところにある村に行きました
あるママが抱っこしていた子があまりにもかわいくて話しかけたところ
彼女はスバ(首都)からやってきて、最近旦那さんの実家にいると
しかもここではよくあることですが、義理のお母さん、義理の兄弟、その子供などと続き
果たして何人家にいるかよくわからない感じ
コロナで旦那さんが職を失い、去年村にやってきたと
生後6カ月の子がいながら毎朝起きてから家族全員分の食事を作り、掃除をして洗濯をする
そして食事作りは昼も夜も続く
ちなみに洗濯は洗濯機はないので手洗い
全員分のをしているそうです
やってらんない!と 笑
しかも義理のお母さんは私を嫌っていると思う、何をしてもちょっとね、、、と
これからどうしたい?って聞くと
子供が1歳になったら、スバの自分の実家に帰り、自分は仕事にでるんだと断言していました
だからそれまでの辛抱
今は文句を何一つ言わないけど、絶対にスバに戻ると
たくましいなぁ
強い意志を感じました
今はなんとかやるけど、絶対にこうするんだと
最初の子だといってたのですが、天然で子育てを分かっている感じがしてうらやましくもありました
家事でめちゃくちゃ忙しいんだけど、正直子供が泣いてたら全部ほったらかしにすると
I don't care
I just care about my child
と
頭じゃない本能で育てている
多分来年の今頃彼女はスバにいるでしょう
スバはいうても大都会です
それが人口数100人の村に行けばメンタリティも生活も違う
洗濯機からの手洗いはなかなかのシフトですよね
普段はポリティカルマターを扱っているのでなかなか村に行くことはないのですが、国連が主導しているプロジェクトを今回2週間大体的にやるので見させてもらえるとのことで行ってきました
行政と民間サービス(カウンセリングなど)の抱き合わせの移動事務所みたいな感じで2週間村から村へと移動してサービスを提供するようです
何でそんなサービスが必要かと言えば、
そもそも出生登録が必要ということが分からなかったり、土地の登録ができてなかったり、選挙の登録がなかったり、あとは医療ですね
村にクリニックがあるわけではないので、少し相談したりということがとてもしづらい
クリニックに行くにはバスに乗っていくのですが、遠くてお金もかかるからなかなか行かない
最終的には自治体の力ででも定期的に動かせるようになればよりよいですよね
確かに国連がとりまとめて外国の支援が入っているわけなのですが、実際現場ですべて動かしているのは現地の組織でした
そこにいた外国人は私くらいでした
人が集まるところには食がある・・・!
Food is a MUSTだそうです!
しかも音楽も爆音でなってる
行政サービスというかお祭りでした笑
みなさん結構ドレスアップしていました
私は基本見学者でしかなかったのですが、ありがたいことにランチもいただきました
文化ですね
スタッフの方たちが声をかけてくれるのはまだ分かりますが、村の人もメシ食ったか~と聞いてくれます
食べなさいと
どなたかの家でおっちゃんらと食べました
こういう食事はミクロネシア以来だった~
たぶん一皿5キロくらいある!
食べ物の境目はないよ
手という箸で食べる
途中何食べてるかわかんなかったけどおいしかった
川魚、タロの葉っぱをココナツで煮込んだもの、キャッサバ、タロイモ、スイートポテト、ゼンマイみたいな野菜などなど
手がべたべたになるから食べた後フィンガーボール的なのをもって来てくれました
フィンガーボールは数人で使い回し 笑
そもそも食事の前に手を洗っているかは知りません・・・!
コロナが落ち着いているとはいえ、マスクをしない人がほとんどなのもその通り
国内で集まりに規制はないけど、規制したところでね・・・
これはしょうがない・・・!
村の文化です
良いか悪いかはジャッジするもんじゃない
こういうものなんだなあ


『TAKAKOの徒然』は今回のフィジー編で最終回となります
ご愛読くださり、ありがとうございました!
著者のTAKAKOさんはプロフィールにもある通り「趣味は国境を越えること」なので、その旅は太平洋に留まらず、この後も様々な国からの寄稿をいただけるのではないかと期待しております!